言葉にする価値

イタリア土産のTシャツを戴いて

イタリアが好きになったそうです。(笑)

気に入って洗濯し終わるとすぐに着るTシャツ。

「喜びを表現してみてよ!」というと

こんなリアクションでした。

「可愛いって言って」「好きって言って」。。。

言って言って攻撃は少し疲れますが、ここまで欲するものを

明確にできるって羨ましいなぁ。

言ってあげると喜ぶので、いう価値がありますが。。。

最近、私にも頼もしい助っ人、いえいえ

助っ人ではなくもっと強い力で押し上げて下さる方が増え

長年願いながらも、「いつか、いつか」とどんどん遠のいていった

ものに、また少しずつ近づいているのが分かります。

何気なく書き綴っているブログですが

このブログもとてもよく働いてくれていて

語ることで、読んでくださる方のどなたかの気持ちの

どこかにひっかかり、繋がっていくことが頻繁に

起こって驚きます。ブログってすごいんですね。

言葉にすると、とにかく形になるのが早い!

どこからともなく、助けてくれる人がワーッと

迫ってくるという印象です。

悩めるたくさんの方に接してきましたし

私自身がなかなか抜け出せなかった

負の連鎖、と呼ぶのでしょうか、そういったものの

背景には、必ず「言葉にすることを躊躇う癖」が

あります。

助けを求めること自体を恥ずかしがったり

言葉にして、それが現実化しなかったら恥ずかしいからと

最初から引っ込めてしまったり、

自分を卑下することで嘘を言ったり過小した夢を

語る癖があったり。

自分をみじめにする言葉はそれだけの価値にしかなりません。

悲しい、惨めだと言えば、周囲は「悲しい人」「惨めな人」と

扱い、たとえ手を差し伸べても当の本人は

その手を払いのけたり、悲しい目で見つめるだけ。

それでは状況は変わらないままです。

悲しみから抜け出したいのです、惨めはもう嫌です、と

そこに区切りをつける決意や、幸せになりたい

私をもっと高嶺に上げてあげたいと言えば

助けてくれる手は必ず差し伸べられますし

差し伸べられた手を握り返せるでしょう。

最終的には「欲するものを手に入れる」という強い決意が

差し伸べられた手を借りて上がっていく力に

なります。誰かが助けてくれる。。。というのは依存。

誰かの力を借りることを最初から拒絶する方は

力を借りる=依存と捉えていらっしゃることが多いのですが

そんなことはありませんよ。だから最初は誰かの手を

握りしめてみてください!

力を借りて、自分の力で上がることは依存でなく

誰かが助けてくれることを待って嘆いていることが依存です。

書くこと、話すこと。。。言葉として気持ちを昇華できると

身体は緊張を緩め、代謝がしやすくなります。

言葉を内に溜めると代謝が失われ、言葉の内容によって

臓器や器官に留まる姿は心と体がいかに繋がっているかを

物語る神秘的な関係で、素敵なだな~と思いますが、

そんなのんきなことも言っていられません!

現代を生きる多くの方がそれによって病気になっているからです。

心さえ自由にすれば、体が自由になって

無理なく生活する環境やステージを変えていけます。

無理して環境を変えて自由になることではなく

「心」が先。

5月から年末にかけて月1回のペースで行うセッションは

この心を自由にすることを依存ではなく

自力でするためのメソッドです。

自分でも抑えていたことが次々に分かり、

面白いとように言葉が溢れてくるので

お楽しみください。

開催は毎月第2日曜と決定しました。

スタートの5月は8日です。

お休みする方は個別に振り替えしますのでご安心くださいね。

詳細をまとめ、またホームページにアップします!

今日はこの辺で!

おやすみなさい。